KYOTO 画狂春人インソムニア


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枕がかわっても、隣が代わっても、しっかり睡眠するたちなのですが、どうもおかしく最近は、神経がぴんぴんに尖っており、眠れないというか、眠らないというか、不眠がちなのです。
今晩はみなさま
わたしは京都にきています
こんかいの潜伏滞在は、非常に物静かな連日であり、時折聞こえる音階も雨音。
きょうもお腹がすいた不寝の夕刻、雨足のゆるみを見計らって錦へと向かいました。
錦には、大きくておいしい栗を売っているお店があり、ゆらりゆらりとした足取りでその栗屋を目指した次第でありますが途中、寺町へ寄り、不眠のお供に面白そうな一巻も調達しようと、古書屋さんへ入店。
偶然入った「大書堂」という書店にならぶ浮世絵や錦絵、彫り物の書物のあいだを縫い進みながら、しばしの遊覧をたのしみました
中でも浮世絵。春画なのですよね、わたし釘付けになってしまって
扇情的なオーラをまとう春画は、情交を描いた、とくに女性器を細やかに大きく描きながら躍動する肉体同士を静止する緊張感で記録したもので、辛うじて浮世絵=北斎。程度の理解はありましたが、歌川派や、歌麿の描く春画やその違いなど、連続で目撃すれば重く静かなクラシックとしてしんしんと心に沁みいるものがあり、眠いのに視たい。という、霊長類としての本能運動がはじまったのです
わたしはセックスの最中より、セックスの最中になにを想っていたか、相手がどのような顔つきであったのかをのちに思い返すほうがセックスである女で、なので、こういった画を目撃するということは時代をこえた無口なセックスであり、すっかり人ごとではなくなってしまうのです。
もちろん美人画図も美しく書品には埋め込まれてあり、不眠中の今日のわたしには歌麿がいちばん気分でありました(下画は歌麿作)
ただ、書はどれもこれも高価なものばかりで、けっきょく栗も買わずに手ぶらで帰還をしましたが、まなこに焼かれた残画の記憶は長時間わたしを支配し、また今夜も眠れずに、さまざまを思うしかなさそうです
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